ふわりと飛ぶヨムジョンア・ どっしりとしたチジニの和合… 新しい活力吹き入れて
ヨムジョンア、そしてチジニ、彼らの出会いはまるで明るくて軽快なメロディ楽器とずっしりとしたリズム感ある打楽器の協演を見ているようだ。
ふわりと飛ぶヨムジョンアのメロディをチジニがのびやかなリズムで付いて行く。 二人の俳優の出会いは相克であるだけに、同じ二つの楽器が似合って曲調を吹き出す。
音色が徐徐に深くなって片付けることが出来ない感動のメロディをもたらすのと同じだ。
彼らが演奏する映画「古い庭園」は、二人の男女の短いが深い響きを作る愛を演奏する。
ヒョヌ(チジニ)は自称社会主義者で、半分独裁運動をしてお尋ね者の世話になる。ユニ(ヨムジョンア)はそんなヒョヌに身体と心の隠れ処を提供する田舍学校の先生だ。
彼らか6ヶ月の間、夢うつつのような隠遁の逃避生活をする。その思い出と懐かしさで余生を満たして行く。
少し重くて真摯な作品の設定は、二人の俳優でなかったら憂鬱な単調の曲に陥る可能性のある危険千万の網渡りとも同じだった。
本の中の化石みたいな人物に新息を吹き入れながら、俳優の存在感をもう一度悟らせる。ヨムジョンアとチジニに、ソウルのあるスイートルームで会った。
■身軽く、そしてクールな-長調 ヨムジョンア
ヨムジョンアはこれまで、自分だけの色で多様なジャンルの服を上手く消化した。恐怖(「箪笥」)、犯罪スリラー(「犯罪の再構成」) ファンタジー(「少年、天国へ行く」) コメディー(「女先生VS女帝者」) そして、もうメロ(「古い庭園」)まで自分のフィルモグラフィーに含ませた。
注目する点はヨムジョンアと言えば浮び上がる、堂々で粹な基本イメージには大きい変化がないということだ。
代わりに作品の性向が大きい偏差を見せながら、俳優を更に輝くようにする。 どんな服を着替えても自分のスタイルで消化するファッションモデルみたいな俳優であるわけだ。
今回の作品でヨムジョンアの色だけは相変らずだ。 ただ原作が持ったキャラクターの憂鬱さは減らし、堂々さは育てた、。 俳優ヨムジョンアを通じて原作の中のハンユニが新しく生まれたと言っても過言ではない。
ハンユニは暗鬱な時代の状況の中に、愛する人がお尋ね者で無期囚に変化する現実にも屈しない。元のままで賢明に対処して行く。
こんな原作の人物設定を元手にし、ヨムジョンアはより身軽くて活気に満ちた女性に変奏し出した。
ややもすると80年代の暗鬱な時代背景に埋沒された悲恋の女性で照らされる可能性もある人物が、ヨムジョンアを通じて、最近の言葉で言うなら、クールな人物に生まれ変わった。
「小説そのままに描かれていたら、この頃の世代にちょっと狭量で陳腐に受け入れられる可能性もありそうでした。ユニのキャラクターが原作より身軽くてクールに描かれて、若い世代も理解することが出来る現実性が満たされたようです。」
映画の中のヒョヌとの別離場面で、このクールな俳優の真価が現われる。ユニは立ち去るヒョヌに吟ずるように「隠してくれ、寝かしてくれ、食べさせてくれ、身体を与えてくれ、お前は何故行くの? さよなら、このバカ!」とこぼしておく。
二度と会えないと同じ恋人に対する恨み、幼い毒舌みたいだが、毅然に見える。 表で表現出来ない哀切さと切なさがある。ここにヨムジョンアという俳優のイメージが重なって、二人の感情線が過熱されることを阻む冷却水の役目を果たす。
ややもすると新派で落ち込む可能性のある流れだったが、冷情さを失わない。ヨムジョンアも一番印象的な場面として、この場面を指折った。 一番自分の色がする明らかな場面だからだ。
ヨムジョンアは「古い庭園」のシナリオを受け取り、出演可否を差し置いて「無条件に上手になりたかった」という欲心が先に進んだ。そして作品を終えた今も相変らず、ハンユニのキャラクターに魅かれているようだった。
ヨムジョンアは「本当に理想的な女です。大きい器を持っているんです。どんなに難しいことにも見窄らしくならず、格好良く生きて行った人です。 少しの間でもハンユニとして生きることが出来て、とても幸せでした。」と話した。
■落ち着いて、そして暖かく-短調 チジニ
チジニはヨムジョンアが歩く反対の道に行ったようだ。自分が持った正しくて真面目なイメージを破壊し、徐徐に自分のキャラクターに力を込めている。
前作「女教授の隠密な魅力」で思う存分、のらりくらりした教授で登場したなら、「古い庭園」では社会変革を夢見て転向を拒否する長期囚で登場する。
次期作「寿」で双子の復讐の為、水かもいとわない冷血漢チャンテスに扮する。 本人も徐徐にキャラクターの変化を楽しみ始めたのか、俳優として撮影場が楽しいだけだ。
「以前は撮影現場に行くことが負担で辛かったです。"今日はどのように堪えるか"と思いながら、撮影場に向かったりもしました。しかし最近は変わりました。いつ、また撮影するかと待つほどに現場が一番楽で楽しかったです。」
チジニは今回の作品でオヒョヌという人物を自分なりに再解釈した。 原作を深く読み込むことをわざわざ諦め、シナリオと映画に専念した.
チジニは「振り撤くようだが、小説と映画の中のオヒョヌはちょっと違う人物です。だからなのか、原作を読もうと思ったが頭の中に入って来なくて果敢に諦めました。個人的には原作に比べて現実感覚を取り揃えた人物だったらと思いました。長年の獄中生活をしても、か弱く見えたくありませんでした。中年として出るが、中年らしくなくて元気であることを見せたいと思いました。」と話した。
何よりチジニが今回の作品で輝くのは、絶望の中から希望を描き出す複雑な心理状況を上手く消化した点だ。
17年の獄中生活、 良い世の中を作って見ようという信念を捨てなかったものの、もう社会は自分を捨てたように彼ら同士上手く過ごしている。世の中に対する恨みが極まる時、一生を自分だけを待って来た女性一人はもう死んで居ない。
チジニが描き出すオヒョヌは、絶望と憂鬱に一杯な環境にある。 しかしチジニはオヒョヌを通じて、口には出さずに静かに黙り、胸に詰ったような悲しみを節制しながら濃縮し出す。
絶望的な状況だが、穏やかに堪え出して力を失わない難しい内面演技を披露した。 作品はオヒョヌによって、暖かくて落ち着いたように希望という単語を取り出す。
時代に捨てられたような人物が、逆説的に希望を取り出しながら見る人々は、更に大きい感動の機運を受けることが出来る。
「17年の間、ユニが独身生活をして、いくら見通しを暗かったでしょうか? しかし、ユニはヒョヌの獄中生活後の生活を準備しておくじゃないですか。 ユニを通じてヒョヌも家族と和合し、時代と和解が出来るようです。 そして、生きて行く理由を見つけます。結局、社会に適応して吸収されるようになります。観客たちが映画を通じて、時代と家族の和解を通じて希望を見つけたらと思います。」
キムソンハン記者 wing@sportshankook.co.kr
[スポーツ韓国]2006-12-29 13:37:54
http://sports.hankooki.com/lpage/cinet/200612/sp2006122908315858470.htm
チジニ・ヨムジョンア、彼らの扮装が美しい!
それぞれ若白髪一杯な中年男性と髪をそった頭に扮装
映画「古い庭園」はチジニとヨムジョンアの普段は見難い姿が登場する。
チジニは中年のオヒョヌを演じる為、頭に一杯な若白髪は勿論、顔のシワも厭わなかった。俳優としては憚られる姿でありそうだが、チジニはむしろ堂々としていた。
「平凡ではない魅力がある中年なので作品を選んだ。 その年代を表現する為の白髪やシワは大きな問題にならなかった。素敵な中年の姿を演じることは、自分の中年を見積って見ながら俳優としても興味ある事だ。むしろ、そんな姿を見せないようにすることの方が、俳優としての資質が不足そうだ。」
ヨムジョンアの姿はもっと破格的だ。ヨムジョンアは今回の映画でただ一本の髪の毛も残らない頭を公開した。
劇中、ユニが癌判定を受け、寂しく老年の姿を絵画に入れる場面で、坑癌治療の為に髪の毛が皆抜けた姿をそのまま演じた。 女優としては大きい勇気が必要だったであろう場面だ。
実際に坊主頭にしたのではない。扮装とCGが結合され、実際に坊主頭をしたような気がするほどに精巧に描かれた。
「古い庭園」は作品の為に、どのような設定や扮装も厭わない二人の俳優の熱情を確認することが出来る良い機会である。
キムソンハン記者 wing@sportshankook.co.kr
[スポーツ韓国]2006-12-29 13:37:54
http://sports.hankooki.com/lpage/cinet/200612/sp2006122908280958470.htm
2006-12-31 21:57:28
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